3月11日は震災の日。
そして子供の誕生日。
11年前のあの日多くの命が失われた日。
毎年鎮魂の祈りに包まれる日に娘はこの世に生を受けた。
6年前の娘が生まれる瞬間はそんな日だとは思いもつかなかったけど、当事者でない僕たちはやはり日々薄れていってしまうのかもしれない。
ただ、当時の記憶ではとんでもないことが起こってしまったんだと言う事は鮮明に思い出される。
その頃は山に夢中になり始めてて、時期的にGWの予定をワクワクしながら立ててた時に震災が発生したことにより国内が一気に自粛ムードに
なったことだった。
ブログで繋がってた人たちも急激に更新頻度が減り、とても遊んでる場合ではないといった雰囲気だったはず。
日本国内がそんなにも大変だった日も年々薄れていってしまう記憶も事実で、僕の場合はそんな日が娘の誕生した日という事もあって毎年今一度考えさせられる日なのだ。
そして今再び多くの命が失われてる。
罪のない人々を巻き込む戦争。
この21世紀という時代に侵略という行為に進んだ国。
人一人の命がこんなにも簡単に失われていくニュースを見る最近はことさら11年前を思い出さずにはいられない。
侵攻、侵略、戦争、虐殺、何の大義名分で人の命を奪うのか。
皆自分の大切な人がこの世に生を受けた瞬間をもっと思い起こすべきだ。
罪のない人々を殺して嘘をついていったいその先に何があるというのか。
コロナや戦争やいったいこの先の未来はどうなって行くのだろう?
僕の中でも3月11日は命というものを考える大切な日なのです。